あまえ
日本人はアメリカ人と比べると、甘えが多いと言われています。「甘える」とは、私たち日本人には、直感的に何のことか解りますが、アメリカ人の間では、余りよく解りません。事実、「甘える」という言葉を、英語に訳すのが大変であります。「甘える」と和英辞典で探しますと、「甘えっ子」という意味になってしまい、「わがままをさせる」ということになってしまいます。でも、日本人の「甘える」と言うことは、わがままにさせるだけではありませんし、「わがまま」が暗示させる、悪い意味も含まれておりません。確か甘えは、母親と子供とのやりとりに、起源があると思います。母親が、子供に愛情を与え、子供を満足される、というところから甘えの経験が始まるわけです。もちろんアメリカ人がそれをしないというわけではないのですが、日本人はこの甘えの経験を土台とし、その後、様々な人間関係に適用して行くのです。
例えば、小学生くらいの子供が、先生に甘えるとします。その時子供は、普段学ぶ立場にある生徒という役割と、教える立場にある先生という役割を、一時的に中止させ、先生がいかにも親であるかのように、抱きついたり、じゃれたりします。先生も子供が甘えているのを理解できますから、一時的にそれを許します。また、いつもいばっている亭主が、急に弱々しい声で、「これちょっとやってくれないか。」などと、妻に甘えたりし、彼女も母親でもあるかのように、亭主兼子供に対して、欲求を満たしてあげます。日本会社は、上下関係がはっきりしていて、それを厳しく保とうとします。ところが、仕事後、酒を飲みながら部下が上司に甘える風景もありますし、また逆に、上司が部下に甘えて、身の回りの世話をしてもらったりします。
また、日本人の甘えが、アメリカ人には通用せず、問題となることもあります。ある日本の旅行社がアメリカの大学で夏期講座を開こうとしました。アメリカにいる日本人代理人が、大学と契約を結びましたが、日本からの参加者が定員に満たず、旅行社はキャンセルをしようとしました。しかし、大学の方は夏期講座の予算全額を要求してきました。契約には初めから、日本側が予算全額の責任があると記してあったからです。日本人の感覚では、過去に夏期講座を行ったし、これからもお願いするのですから、今回はなかったことにしてくださいと、便宜をはかってもらい、終わらせたいのですが、アメリカ人にはこの甘えは通用せず、「契約は契約です。」ということです。
このように、色々なところで日本人の甘えている姿を、見ることが出来ますが、共通して言えることは、普段の社会の規則、また、その人の役割を、一時的に中止し、母と子供の関係に起源する「甘え、甘えさせる」やりとりを再現することです。そして、それは、日本の組織化された社会で活動する人たちに、人間味を与える役目をしているのです。日本人の「甘え」を研究している、あるアメリカ人の精神分析者が、「日本人はいったいいつ独立し、一個人になるのか。」と質問しました。それに対して、日本人精神分析者は、「ネバー」(Never.)と答えたのを見たことがあります。