意識というもの
普段ほとんど意識していないと思いますけれど、意識について考えたことがあるでしょうか。意識について意識するということは、目を使って自分の目を見るようなことのように、たいへん難しいことです。
私たちには、意識がありますが、朝、眠りから目が覚めて意識が戻るので、意識があると思います。また、他の人が寝ているとき、呼んでも反応しないので意識がないと判断したりします。ずうっと意識があって、それが止まることがなければ、意識と言うものがあるとは、解らないでしょう。それは、目を閉じて見えなくなるのを知り、初めて目が見えていると解るのと似ているのでしょう。
このように、意識の存在を確認するのはあまり難しくはないと思います。でも、意識とは何か、という問題はそれほど簡単ではありません。意識と自己の存在とは、歴史的に強く密着した関係があります。デカルトも「I think,
therefore I exist.」と言ってましたように、自分が考えられるんだということを意識して、自分の存在を確認しております。また、一般的な口調で、自分の体が死んでからも、自分の意識が続けて存在し、それゆえに、自分が永遠に存在するかの様なことを、私たちは話したり、考えたりします。
でも、一体意識って何ですか。それってどういうふうに成り立っているんでしょうね。脳の中に意識と言われるものを起こしたり止めたりする部分はあります。すなわち、人を起こしたり寝かしたりする部分は脳の中にあるのです。でも、その起こった意識が何であるかそれだけでは解りません。
ここで私が意識の本質について提案できる内容と言いますと、「意識とは、ある記憶ともう一つの記憶の違い、または、ずれの確認自体である。」ということです。例えば、花が机の上に置いてあります。数分後に誰かがそれを持ち去ってしまいましたので、机の上にありません。机の上にあった花の記憶がありますから、今、花がないことに気がついて、花がなくなった意識が出来上がります。数分前の、花があったという記憶がなくなってしまいますと、現在花がないということに気がつきません。すなわち、花がなくなったという意識がないと言うことになります。
私たちの脳では、このような記憶と現在の観察とのずれがたくさん集まって「意識」と言うものになっています。まったく記憶がないところに意識は存在しないでしょう。つまり、夜、夢を見てもその記憶がないと、夢の意識がありません。夜中、意識なく眠り続けたように感じます。夢を覚えていますと、寝ていながら夢を見たという意識ができあがります。また、脳障害で記憶力を破壊された人が、数分前に食べた食事の記憶がなく、それに関する意識がまったくないことは、意識の本質のドラマチックな例であると思います。
もし、何らかの理由で、自分が考えたことも、自分が数分前にしたことも忘れてしまったら、自分の存在を意識できないことになります。正に、「I
forget, therefore I don’t exist.」ということになりますかね。