男性と女性
男性と女性、男らしさ、女らしさと言うものは、いったいどこからくるのでしょう。
肉体的に見ますと、確かに男と女は違うところがあります。そして、男性ホルモンと女性ホルモンとがあり、それによって男女の行動が少しは違ってきます。例えば、男の子の方が活動的で攻撃的です。女の子の方が静かで協力的です。これらの差は、男性ホルモンや女性ホルモンの量によって起こりうる違いです。
でも、これだけでは私たちが日常観察する男性や女性の行動や態度は説明できません。実は、男性と女性と言うものは、文化や社会の中で作られ、社会人が共有している所持物であるのです。男性女性と言うものは、生物学的に決定されるものではなく、本性的に決まるものでもない後天的な産物であると言うわけです。
まずそれは社会の代表者としての親によって子供に植え付けられ、その後周りの社会によって教えられ保持されていきます。たとえば、子供が生まれて間もなく、親は生物学的な性別に基づいて、子供に違う服を着せます。また、性別によって親の子供に対する接し方が違います。男の子に対しては、「君は、男の子なんだから強くなりなさい。」なんて言います。女の子に対しては、「あ、それ、かわいいね。」とか「きれいね。」とか言って、“女の子”を作り上げていきます。
成長して社会に出てからもこのパターンは変わりません。「おまえ、男だろ。しっかりしろよ。」と言って男らしさを強化し、「そんな女々しいことするなよ。」と言って女性化を恥にします。また、「女らしくないな。」とか、「きれいだよ。」と女性に言って女らしさを強化します。
要するに、男らしさ、女らしさって言うものは、私たちの心の中、そして社会に存在するフィクションのようなものであるわけです。それをみんなで止めましょうとか、変えましょうと言うならば、変化してしまうものなのです。実際に男らしさや女らしさは時代と共に変化しますし、違う社会や文化に行きますと違う“らしさ”があるわけです。
ところで、男の子が男の態度やしぐさを身に付けて育ったからといって、女の態度、しぐさ、気持を習わないわけではありません。男の子であろうと毎日女性を見ているわけですから、たとえ女性の行動をとがめられ、表現をしないとしても、女性であることを習ってもおかしくないでしょう。女の子についても同じことが言えます。すなわち、私たちは両性であると言うことです。私たちは男性であり、女性であるわけです。でも、日常の習慣によって、男性を振舞ったり女性を振舞ったりするわけです。
ここまで考えますと、面白い発見が待ち構えています。つまり、男性が女性の部分をたくさん習得してしまった場合、そして女性が男性の部分をたくさん習得してしまった場合です。表向きは男性であり、また女性であっても、中身が女性であったり男性であったりすることは不思議ではありません。そして中身が女性である男性が、もう一人の男性を好きになって求めても理解ができるでしょう。女性にとっても同じことが言えると思います。