かくれんぼうが暗示する
このエッセイを読む人は、かくれんぼうと言う、子供の時に遊んだゲームを知っていると思います。何人か近所の子供が集まって、そのうち一人が鬼になり、目をふさいで10数える間に他の子はどこかへ隠れます。今度は鬼が隠れた人を一人一人見つけていきます。全員見つかったところでゲームは終了。最初に見つけられた子が今度は鬼になってゲームが繰り返されます。
鬼が誰かを見つけると、「やったー」という気持ちになります。たまには、誰かの隠れ方がすごくうまくて、鬼がなかなかその子を見つけられません。そうすると、鬼は自分に自信がなくなってきて、心不足に感じたりします。隠れる方も、簡単に見つからないほうが楽しいです。見つけられると、しまったと思ってちょっと恥をかきます。また、もっと極端な例になると、隠れ方がうますぎてか、鬼の見つけ方が下手なのか、いつまでも隠れた子を発見できず、遊びを諦めて家に帰ってしまったりします。やはり、隠れてもそのうちに見つからないと面白くありません。すなわちゲームが成立しません。
ところで、このかくれんぼうの遊び方とセラピーがよく似ていると私は思うのです。そればかりでなく、通常の対人関係にも、似たところがあると思いました。
かくれんぼうとセラピー
セラピーに訪れる患者さんが必ずしもしてしまうことは、セラピストに言える事と、言えない事とを分けて、言えない事を隠してしまいます。もちろん、セラピーをゲームと思っていないですから、面白がって自分の事を隠そうとしていません。でも、自分のためを思って、恥ずかしいと思ったり、適当でないと思ったりして、セラピストからある事柄を隠します。
一方、セラピストは患者さんの症状の解決に向かって情報を得るために、患者さんに質問をしたりいろいろな話を聞きます。でも、それだけでは問題の解決にならないので、得た情報をもとに症状の秘密を見つけようとします。しかしながら、患者さんにとってみれば、意識はしていないにしても、この症状の秘密をいちばん隠したいと言ったところです。セラピストはそれを発見できないと、自信のなさにつながっていきます。患者さんは、隠しておきたい秘密がいつまでも秘密となってしまっては、症状がよくなりませんから、どこかで発見してもらいたいのですが、やはり見つけられると、恥を感じたりします。また、患者さんの秘密隠しが上手すぎて、セラピストが発見できないと、セラピーが無効になって終わります。
セラピーはかくれんぼうをしているかのようで、秘密を発見する喜びと、発見された恥とが同時に起こる、でも、それによって改善される喜びもある2人の面白いやり取りです。セラピストが鬼に見えて、恐がられることもありますが、その要素があってこそ、秘密の存在に意味があり、”ゲーム”が成り立つのかもしれません。
そこで思うのですが、普通、人と出会うと、2人の関係が進むために、相手に関していろいろ発見をしていきます。相手のほうも、言えることと言えないことがあって、秘密を守ることもします。この場合、お互いが鬼になり、そして隠れ方を工夫します。あまり隠れ方がうまくて、秘密が守られすぎると、”ゲーム”が面白くなく、関係が断たれてしまいます。関係が進むには、秘密が時々発見され、そこに驚きや喜びを見出し、発見された方は、恥を感じたりしながらのやり取りが必要になります。
子供の遊びのかくれんぼう、そこに大人の関係の秘密が隠れていたとは、驚きです。