オーギャニックな自分


ある患者さんが不眠で困っていました。彼曰く、夜中に目が覚めて、そのあとなかなか眠りに戻れない、とのことでした。眠れないときに何をしているかと聞いたら、知らずと仕事のことを心配したり、翌日どうしたらよいかを考えたりするそうです。もちろん夜中に頭を使い、覚めてしまっては、眠ることはできません。

れない時の状態を振り返ってみると、自分が寝たいと言う気持ちと裏腹に、頭や体がどういうわけかリラックスして眠気を起こしません。しばらくすると眠りたい欲求がかなわないがために、フラストまで感じ始め、それがますます眠りを妨げてしまいます。何を試してみてもうまくいかず、最後には自分の試みにも疲れきって、諦めの状態にもなります。すると眠気が自然と出てきて、知らない間に寝付いています。

ここで気が付くことは、眠るということ自体と、自分で言う寝たい、起きたいと言う意志は、別なものであるのではないか、ということです。寝ようとするから、都合よく寝られるわけではありません。また、起きていようと思っても、寝てしまうこともあります。

分でやりたいことと、自分の体がすることと違う例が他にもあります。例えば、食事時なので、食べなければならないと思うのですが、お腹がすかなかったりします。また、トイレを済ませたいのですが、便秘になったりします。一生懸命考えなければならないときに、頭がボーッとする時があります。

このようにして、同じような例を探しだすと、かなり広域に関していろいろなものがあります。年はとりたくないけれども、その一方体はどんどん年をとっていきます。それに伴って、筋トレをするのにかかわらず、筋肉の力や弾力性が減っていきます。また、心配などしたくないのに、心配材料が頭にどんどん浮かんできます。そのために体を休めたいと思うのですが、緊張が続きます。

これらで理解できる事は、何か自分として思っている部分と、その他に、自分として思っているのですが、自分の一部として動いてくれない違うレベルの自分がいるということです。寝りたいという自分がいて、また違うレベルで眠らない自分がいます。眠りたいと思っている自分は、意識できる自分のことで、普段自分と思っている部分です。これを心理社会的自己とよぶことにしましょう。と言うのは、その自己は対人関係の中で現れる自分で、対人関係によって作られ、保たれ、影響を受ける自分だからです。

じく前の例に戻り、眠りたいと言う自分と関係なく、眠らない自分、起きようとしていても、勝手に眠ってしまう自分をオーギャニックな自分と呼ぶことにしましょう。なぜなら、この部分の自分は身体の生理的必要性に応じて動くからです。お腹がすいたらそれを伝えますし、痛いものに触ったら、素早く手を引っ込めさせる基本的な、でも大切な機能をする自分と言うわけです。

達が往々にしてしまうことは、このオーギャニックな自己を無視し過ぎということです。この部分が大切なメッセージを送っているにもかかわらず、普段は心理社会的自己の保存に夢中で、オーギャニックな自分の健康を損ないがちです。すなわち、自分のプライド、社会的イメージ、自己満足などに終日気を配り、体で感じる自分の健康を重んじません。本当は、オーギャニックな自分の健康をもっと大切にし、それが土台となって心理社会的自己の存続が保たれていると理解し、もっと足が地に付いた(心理社会的自己の頭でっかちな存在と対照的に)生き方をしていくのがよいと思えるのですが。

さて、心の心配で眠りにつけない人の例にもどり、オーギャニックな自分に目を向けて不眠を直すには、どうするかと言いますと、先ず、1) 心理社会的自己を止めるために、仕事のことや明日のことは考えないようにしましょう。2) オーギャニックな自分を使うために、体の感覚、感じることに気を向けましょう。3) 視覚的イメージvisualization を使いましょう。そのときには、無声映画を見ているかのように、イメージを追いますが、言葉は使わないようにします。4) 体の感覚に集中し、雑念を取り除きましょう。5) 目が覚め、頭が活発になってしまったら、睡眠の1サイクル、すなわち90分間、本を読んだり、ラジオやテレビを聴視し、頭が疲れるのを待って、睡眠をして見ましょう。これらの項目をすべてすると言うことでなく、1つや23を組み合わせて、試してみたらと思います。


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