ボーっとする時
私達はたまに(しばしば?)ボーっとする時がありますね。心が現在から離れて、どこかに浮かんでいるかのようです。何もこれといって意識して考えていない時もありますし、何かを夢中で考えている時もあります。
いろいろな理由で頭がそうなるのでしょうけれど、今回考えて見ようと思うことは、特に人間関係のやり取りがあった後のことです。例えば、誰かとやり取りをします。そしてそれが終わった後、ふと、気が付くと、またその人とのやり取りを考えているではないですか。何回も繰り返してその時のありさまを思い浮かべています。そして、目前の事柄を忘れていたり、集中をするのが難しかったりします。
このような心の動きとはいったい何なのでしょう。
私達はセルフイメージ(自己像)を変化させずに保とうという努力をします。でも、人とのやり取りは、いろいろな形で起こり、予想もできない方向に進む時があります。そのやり取りの流れによっては、自分のイメージの変化を要求されるようなこともあります。人とのやり取りが自分のいつものイメージを保つのに難しくなるのです。
例えば、自分がある程度「できる」と信じていたとしましょう。自分に自信があるわけです。ところが、ある人とのやり取りで、どういうわけか自分が「できない」と言う感じが起こってしまいました。自分がそれまでに感じていたことと矛盾が起こったのです。でも、自分はそれまでのセルフイメージを保とうと思っていますから、「できない」という感じを何とかしなければなりません。それである人とのやり取りを、何回も頭の中で繰り返して、そのやり取りが自分を脅かさないということを、確認しているのです。何回も考えながら、矛盾した感情は間違いだったと自分に説得しているかのようです。
でも、このようにして矛盾の感情を吸収できなかったらどうなるのでしょう。たぶん、そのような経験は、いつものセルフイメージとかなりかけ離れていて、単に吸収してすむようなものではないのでしょう。
そのような時には、自分がその矛盾した経験や感情に適応しなければなりません。すなわち、経験に応じて自分が変わらなければならなくなります。先ほどの例を用いますと、「できる」と思っていたセルフイメージが「できない」というイメージに変わらなければなりません。結果としてセルフイメージと経験との矛盾はなくなりますが、セルフイメージは変わってしまいました。
でも、「できない」なんてイメージに変わるのは誰でも好きなことではありません。それがちょっと限られた分野だけでしたら我慢ができるものの、もっと根本的な面から「できない」セルフイメージに変わるのは、大変なことです。
でも、そのような経験をすることがないわけでもないのです。ある人が自分の生死にかかわるような、かけ離れた経験をしたとしましょう。大事故にあったり、何者かに襲われたり、虐待をされたりして、自分の力のなさを経験してしまうのです。でも、何も「できない自分のイメージ」を受け入れるわけにはいきません。なぜなら、そんなイメージでこれから残りの人生を歩むわけにはいかないからです。
吸収もできない、こちらからも適応できない恐ろしい経験はそのまま心の中に浮かび続けます。だからと言って何も影響がないわけではありません。その経験が頭のエネルギーを使いこんで、本人をボーっとさせたり、フラッシュバックと言って急に恐い経験がよみがえってきたり、寝ている時には悪夢となって現れたりします。このような状態をPTSDと言いますが、トラウマを経験した後、その経験を消化しきれない時に起こるのです。
PTSDの状態をそのままにしておくわけにはいきませんから、通常は治療が必要です。セラピストとのサポーティブな人間関係の中で、徐々に吸収できる部分は吸収し、そして自分のイメージもそれまでものから変化していきます。このプロセスは、恐ろしい経験を否定するのではなく、自分の一部として吸収していくのです。最終的には自分の「できない」イメージになりつつも、違う意味で「できる」イメージを作り上げていくのです。