お墓参り
最近年をとるにつれて、なんとなく人生の道のりから、落ちだしてしまうような気持ちがしていました。社会の中の行事、活動、商品などがもっと若い人たちのために作られていうように感じられます。そして、健康状態を見ましても、以前のように、体力がありませんし、臓器の機能が次第に衰えていくのが解ります。
もう少し広い視野から眺めて見ますと、人が生まれてから、30歳位までは、一生懸命社会のことを学んで、社会の一員となり、仕事や家族形成を通じて、自分の場所を見けることが、ひとつのゴールであるかのようです。そして30歳から50歳位までは、人生の経験、ノウハウ、知恵、そして活力を生かして、社会にそして人生に参加し、人類の発展や進歩に貢献しているかのようです。ところが50歳を越したころから、次第にスピードや瞬間力が欠けてきて、これまでの速い流れに付いていくのがしんどくなっていくのを感じざるをえません。
そのようなことを考えながら過ごしていた毎日の中に、飛び込んできたのが今回の親戚の集会、リユニオンでありました。私の妻であるDr. Karenの親戚がハワイで集合したのです。かれこれもう2年位になりますが、妻のハワイ在住のいとこ(女性日系三世70歳)が自分のルーツについてリサーチを始めました。ハワイに住んでいる親戚や、カリフォルニアに住んでいる私たちとメールを通して連絡しあい、先祖の情報交換を始めたのです。そのうちに押入れにしまってあった昔の写真を取り出しては交換し、昔の日本語で書かれた手紙なども発見され、私がそれを英語に訳す係りになったりして、先祖を広島のお墓までたどることができました。
この辺までリサーチが進んだころ、リユニオンのムードが出始めたのです。皆で集まって自分たちの親戚関係を確認し合うといったところでしょうか。日系二世のハワイ人が徐々に他界している現在自分たちの歴史を守るためには、今その人たちのお話を聞き、自分たちのアイデンディティーを再確認しなければならないと思ったわけです。
というわけで、8月の最週末ホノルルのある墓地に集合しました。墓地は日本式仏教の墓地で、ホノルルのハイライズが見え住宅に囲まれた、「ここに墓地があるんだ!」と思わせるような場所でした。私たちがそこに到着したころには、沢山の人がお墓を囲んで立っていました。私はそこでは誰も知りません。皆さんは2世、3世、4世の人達で、私が唯一日本人。その上、私は彼らと全然血縁関係がありません。でも、それまでに何回かメールのやり取りがあったので、私のことを直ぐ解り皆様が暖かく迎えてくれました。そしてお花、線香をした上で、記念写真をパチリ。その後は近くのレストランで集まり、皆さん昔話を沢山していました。全員で参加者24名、それまでに収録された親戚ブックを各々わたされて、集会は和やかに終了しました。
その後、Dr. Karenと私は、彼女の父のお墓参りに行きました。ホノルルのほぼ真ん中にあるパンチボールと言う立派な軍人墓地です。そこは、第二次世界大戦、朝鮮戦争やベトナム戦争などで戦死した日系兵士が沢山眠っていました。ほぼ中央に掲げられたアメリカの国旗はHalf-Staff。その日はデッドケネディーのお葬式がボストン行われていたはずです。父のお墓の前にお花を置き、写真を写してそこを去ることにしました。
そこから数分運転をしていますと、また墓地がみつかりました。これは、たまたま見つかったので、“Serendipity”です。これはハワイにあるファッションのお店ではなく、「見つけていないものを見つけ出した」という意味です。この墓地には、カレン曰く、沖縄から移民した父方の第一世のお墓があると言うことでした。その上今年2月に他界したカレンの父の兄のお墓もそこにあるということなのです。ハワイの太陽がほぼ真上にぎらぎら輝く日中にお墓を2つ探すのは楽な事ではありません。これで私が完全に日焼けしたのです。ここでまた、お花と写真。一日に3箇所の墓地に行き、結構墓地に親しみを感じてきました。そもそも墓地やお墓は文化的に作られたものではありますが、人というは自分の年を感じながら徐々に最終点と言うものにアジャストしていくものなのだなと感じもしました。
今回の経験を通して、人生へ対する受け入れが増したことはよい収得でした。そして知ってもいなかった私に対して、大変暖かいハワイアンホスピタリティーで私を迎えてくださった皆様にいつまでも感謝でございます。